2011年04月13日
被災地に向けて僕らができること⑥
ご存じの方情報をください。
先週の新聞で知ったんですがアクセスできないです。
知っている方いらっしゃいますか?
記事
東日本大震災で被災し、仙台市から佐賀市の実家に避難している砂子啓子さん(37)が、被災地の状況などを紹介するホームページを作成した。大震災発生から間もなく1カ月。惨状だけでなく、現地で必要とされる支援活動や救援物資を発信しようと思い立った。砂子さんは「被災者と支援の皆さんとの懸け橋になれば」と話す。
夫、幼稚園児の息子2人と暮らしていた仙台市のマンションは大震災で被災し、地元小学校に避難した。毛布にくるまって寒さをしのぎ、おにぎり1個を家族4人で分け合った。厳しい生活が続き、子どもたちの体調も考えて帰郷を決意。仕事がある夫を残し大震災から3日後、佐賀市東与賀町の実家に戻った。
久しぶりの温かい風呂、食事…。ほっとしたのと同時に、避難生活を強いられる被災者に思いを寄せた。佐賀からできることは-。「実情を伝えること」
3月18日に開設したホームページには「避難所のスリッパや衣類が足りません」「ガスが復旧せずカイロがほしい」など被災地から寄せられたメッセージを掲載。避難所以外で必要な支援物資を募る地域も紹介している。「被災地が一日でも早く復興するように支援の輪を広げたい」と砂子さん。アドレスは、
=2011/04/08付 西日本新聞朝刊=
ここが繋がらないのです。
http://from‐our‐energies‐to‐tohoku.jimdo.com/
記事のアドレス
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/235912
先週の新聞で知ったんですがアクセスできないです。
知っている方いらっしゃいますか?
記事
東日本大震災で被災し、仙台市から佐賀市の実家に避難している砂子啓子さん(37)が、被災地の状況などを紹介するホームページを作成した。大震災発生から間もなく1カ月。惨状だけでなく、現地で必要とされる支援活動や救援物資を発信しようと思い立った。砂子さんは「被災者と支援の皆さんとの懸け橋になれば」と話す。
夫、幼稚園児の息子2人と暮らしていた仙台市のマンションは大震災で被災し、地元小学校に避難した。毛布にくるまって寒さをしのぎ、おにぎり1個を家族4人で分け合った。厳しい生活が続き、子どもたちの体調も考えて帰郷を決意。仕事がある夫を残し大震災から3日後、佐賀市東与賀町の実家に戻った。
久しぶりの温かい風呂、食事…。ほっとしたのと同時に、避難生活を強いられる被災者に思いを寄せた。佐賀からできることは-。「実情を伝えること」
3月18日に開設したホームページには「避難所のスリッパや衣類が足りません」「ガスが復旧せずカイロがほしい」など被災地から寄せられたメッセージを掲載。避難所以外で必要な支援物資を募る地域も紹介している。「被災地が一日でも早く復興するように支援の輪を広げたい」と砂子さん。アドレスは、
=2011/04/08付 西日本新聞朝刊=
ここが繋がらないのです。
http://from‐our‐energies‐to‐tohoku.jimdo.com/
記事のアドレス
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/235912