2008年10月15日
こいが佐賀藩vol2
なるほど・・・
毛利俊彦著「幕末維新の佐賀藩」を読んで、改めて佐賀藩の凄さを知った。。。
三十五万七千石外様大名。
ペリー来航以前から実用可能な鉄製大砲を開発し、しかも自力で製造し配備していた国内唯一の藩。
(ヨーロッパが100年かかったのを佐賀藩は20年で開発したらしい)
佐賀藩は、1853年ペリー来航時にアメリカから日本開国を迫られ、慌てた徳川幕府から鉄製大砲200門の発注を受けて
まずは、50門を江戸品川台場配備用に納品した。
この凄さを、毛利俊彦著「幕末維新の佐賀藩」には、こう書いてある。
「そもそも武力で天下を制覇した徳川将軍家は、諸大名に軍事奉仕を命じることはあっても、いまだかつて軍事援助を求めたことはなかった。
ところが、いざ黒船危機に直面して「征夷」(せいい)大将軍の進化を問われたまさにそのときに、阿部老中は田舎の外様大名に頭を下げて「大砲を造ってくれ」と援助を乞わざるを得なかった・・・」
「これは、軍役でなかった証拠に、幕府は大砲代価数万両を佐賀藩に支払っている」と書いてある。
しかしこの時代の佐賀藩の活躍を調べると、方言の数くらい出てきそうだ〜かなり絞り込まないと・・・(泣) » 続きを読む
毛利俊彦著「幕末維新の佐賀藩」を読んで、改めて佐賀藩の凄さを知った。。。
三十五万七千石外様大名。
ペリー来航以前から実用可能な鉄製大砲を開発し、しかも自力で製造し配備していた国内唯一の藩。
(ヨーロッパが100年かかったのを佐賀藩は20年で開発したらしい)
佐賀藩は、1853年ペリー来航時にアメリカから日本開国を迫られ、慌てた徳川幕府から鉄製大砲200門の発注を受けて
まずは、50門を江戸品川台場配備用に納品した。
この凄さを、毛利俊彦著「幕末維新の佐賀藩」には、こう書いてある。
「そもそも武力で天下を制覇した徳川将軍家は、諸大名に軍事奉仕を命じることはあっても、いまだかつて軍事援助を求めたことはなかった。
ところが、いざ黒船危機に直面して「征夷」(せいい)大将軍の進化を問われたまさにそのときに、阿部老中は田舎の外様大名に頭を下げて「大砲を造ってくれ」と援助を乞わざるを得なかった・・・」
「これは、軍役でなかった証拠に、幕府は大砲代価数万両を佐賀藩に支払っている」と書いてある。
しかしこの時代の佐賀藩の活躍を調べると、方言の数くらい出てきそうだ〜かなり絞り込まないと・・・(泣) » 続きを読む